『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス):「自分とは何か」という問いのリアリティ

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Moonlight. 2016. USA. Directed by Barry Jenkins. Courtesy of A24 Films

 

2017アカデミー賞作品賞助演男優賞、脚色賞を受賞した『ムーンライト』は、マイアミの黒人コミュニティに生まれ育った一人の少年、シャロンが「自分とは何か」という問いと向き合う物語だ。映画は3部構成で、それぞれのパートがシャロンの幼少期、少年期、そして青年期を描く。

少年シャロンをとりまくコミュニティは、シャロンみずからが自覚するはるか前から彼の家庭を知っていて(シャロンの母親は近所では有名な麻薬中毒者だ)、彼自身のセクシャリティを見抜いていた(シャロンはゲイだ)。同級生たちはシャロンに「ヤク中の息子のオカマ野郎」というレッテルを貼り、「リトル」という名で侮蔑し、いじめを繰り返した。みずからを自覚する前から自分のことを「知っている」周りのひとびとによって、勝手に評価を下され、あるカテゴリに当てはめられ、扱われることによって、シャロンは「本当の自分とは何か」という問いと不可避的に向き合うことになるのだが――。

セクシャルマイノリティに限らず「自分とは何か」という問いやその問いをめぐる思考、葛藤は、みずからの内面と徹底的に向き合うことというよりは、むしろ、みずからを取り囲む外部のコミュニティとのインタラクションから生じ、それらからの影響を思いっきり受けるのだ、という本質を丁寧に描いたことが、「自分とは何か」というこの映画のテーマに、単なる「自分探し」とは異なる圧倒的なリアリティを与えている。

少年時代のシャロン父親のように慕うドラッグディーラーのフアンは、そんなシャロンに対して「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」と説く。シャロンのことを「リトル」ではなく「ブラック」と呼び、シャロンにとって唯一心を許せる友人であるケヴィンは「お前はタフだ」とシャロンを励ます。こうやって文字にした途端に、ともすれば薄っぺらさ、安っぽさを帯びてしまうようなこうした言葉は、この映画におけるシャロンと彼の数少ない応援者との、脆く、不条理で、複雑な関係とコンテキストの丁寧な描写を伴うことにより、この映画を観るもの心に、これ以上ないほどに重く、痛く、シリアスに迫ってくる。

非連続的な3部構成という形式を採用して、それぞれの年代のシャロンに異なる個性的な俳優をキャスティングをしたこと、「貧困と隣り合わせである黒人コミュニティを舞台にした映画」から一般的にイメージされるような映画の表現マナーをいい意味で裏切ったこと――黒人映画の定番BGMであるヒップホップのビートは第3部で非常に効果的に用いられるまで鳴りを潜め、麻薬ディーラー同士の銃撃戦も出てこない――、そして、黒人というマイノリティではなく、黒人コミュニティの内部におけるマイノリティというテーマを扱ったことなど、緻密な脚本、独特なカメラワーク、美しい映像、効果的な音楽の使用など、全てが本作を名作たらしめる要素となっている。

冒頭に貼った画像のシーンは、幼年期のシャロンを描いた第一部で、フアンがシャロンに泳ぎを教えるシーン。幼いシャロンにフアンがバプテスマ(洗礼)を施すような意味合いをも感じさせる、この映画の中でももっとも美しいシーンの一つだ。

 

ムーンライト
監督:バリー・ジェンキンス 出演:マハーシャラ・アリ トレヴァンテ・ローズ ジャネール・モネイ ナオミ・ハリス アシュトン・サンダース 2016 アメリカ 111分

 

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