イアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』:その数学が、わたしたちの生活を一変する

その数学が戦略を決める (文春文庫)

その数学が戦略を決める (文春文庫)

 

 

  • ある年のフランス、ボルドー産のワインは将来どの程度まで値上がりするのか?
  • この脚本で映画を制作したら、当たるのかあたらないのか?
  • 書籍のタイトルをA案、B案どちらにすべきか?

ここに挙げたような、ある種の専門性が必要とされるような予測や判断は、これまでその道の「専門家」と呼ばれる人たちが自身の経験やノウハウ、直感などをたよりに行っていたが、いまや大量かつ多様なデータの収集・計算・解析に取って代わられつつある、というお話(この本ではそれらにまつわる一連の手法を「絶対計算(Super Crunching)」と呼び、それらをあやつるひとびとを「絶対計算者(Super Crunchers)」と表現している)。

原著が書かれたのはもう10年も前(2007年)であるが、10年経ったいまもこの本の意義は薄れるどころか、わたしたちの生活における、本書の主張の重要性はますます高まっている。その後の「ビッグデータ」ブームや、昨今のAIをめぐる盛り上がりにも連なる源流のひとつが、本書である。たとえば、最近になって「AIが人々の仕事を奪う」というようなニュース、議論がかまびすしいが、この本ではすでに絶対計算の台頭が人々の仕事に影響を与えていることが指摘されている。

 

絶対計算の台頭は、伝統的な仕事の多くの地位と尊厳を脅かす。


たとえばいまや華やかでもなんでもない融資担当者を考えよう。かつては、銀行の融資担当者というのはそこそこ地位が高かった。給料もよく、だれが融資を受けるべきか決める本当の力を持っていた。そして白人男性の比率が異常に高かった。


今日では、融資判断は本社で統計アルゴリズムに基づいて行われる。銀行は、融資担当者に裁量の余地を与えるのは商売上まずいと学びだしたのだ。担当者はその裁量を使って友人を優遇したり、無意識的に(または意識的に)少数民族を差別したりする。実はお客の目を見据えて関係を樹立したところで、そのお客が本当にお金を返すかどうかという予測にはまったく役にたたないのだった。


裁量の余地を失った融資担当者は、見かけだけ立派な事務員でしかなくなってしまった。かれらはまさに、融資申請のデータをうちこんで「送信」ボタンをクリックするだけの存在だ。地位も給料も暴落したのは当然だろう(そして白人男性比率もずっと減った)。

 

ちなみに、訳者の山形浩生氏も訳者解説に書いているとおり、わたしたちの日々の生活において「絶対計算」が顕著に使われ、自然に浸透しているのがコンビニエンスストアだろう。日本のコンビニでは、購買者の年齢や性別などを含んだレジでの販売情報をベースに、季節、曜日、その日の予想天気、近隣のイベント(お祭りや学校行事)などに応じて日々、時間単位で商品仕入れの種類や量がコントロールされている。

コンビニにおいて、絶対計算は在庫管理でなく、店舗立地の選定、新商品の開発など、営業活動の隅々に使用されるとともに、洗練化の一途を辿っている。それによってわたしたち消費者も、店舗も、本社もその恩恵を受けているわけだが――日本のコンビニ、特にセブン-イレブンにおける「何か欲しいものが必ず置いてある」感覚は、海外出張からの帰国後などには感動すら覚えるほどだ――、わたしたちが慣れきってしまっているこうした目の前の利便性の先に、(人間の職が機械に置き換えられる、といったような話も含めて)どのような未来が待っているのだろうか。消費の分野における絶対計算の浸透とそれらが及ぼす影響について想像を巡らすのは楽しそうではある。

 

ヤル気の科学―行動経済学が教える成功の秘訣

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エール大学式4つの思考道具箱

エール大学式4つの思考道具箱

  • 作者: バリー・ネイルバフ,イアン・エアーズ,嶋津祐一,東田啓作
  • 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
  • 発売日: 2004/03/27
  • メディア: 単行本
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マクドナルド化する社会

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マクドナルド化の世界―そのテーマは何か?

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坂井豊貴『ミクロ経済学入門の入門』:看板に偽りなし

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

 

 

ミクロ経済学の入門書、の前に読むべき入門書。

経済学に限らずどの分野においても、思ったより簡単に最初から最後まで読めてしまう(ところどころ理解に怪しい部分があったとしても、挫折しないである分野の本を一冊読み切れる)というな配慮は入門書にとって重要だと思う。著者の体験や読者にとって身近な事例などを織り交ぜた柔らかい語り口と、図を多用したビジュアル、書籍の薄さ(176ページ)などのおかげで本当にサラッと読めてしまう本書は、そのような配慮に溢れた書籍だ。

この薄く、読みやすい本のなかにミクロ経済学が取り扱う多岐多様にわたるトピックがこれでもかというくらいぎっしり詰め込まれていることも驚きだが、一方で書籍全体として一つのストーリーになっているので、扱われているトピック同士の関係性や、それぞれのトピックがミクロ経済学の中でどのような意味を持って取り扱われているのか、というのを理解しながら読み進めることができ、詰め込まれたトピックの多さによって読者が混乱することもない。

本書により深淵なるミクロ経済学の世界を入り口からちらっと覗き見てしまった読者は、著者の思惑通り「もっと中を覗いてみたい」と思わせられるだろう(かく言う自分が、まさにそうだ)。「入門の入門」の看板に偽りなし。

併せて、同じ著者による、評判の良い他の書籍も読んでみたい(まずは新書から)。

多数決を疑う 社会的選択理論とは何か (岩波新書)

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マーケットデザイン: 最先端の実用的な経済学 (ちくま新書)

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『海賊とよばれた男』(山崎貴):消化不良感

出光興産とその創業者である出光佐三をモデルにした国岡商店と国岡鐡造の物語。 

戦前、門司の機械油商時代から戦後、1953年の日章丸事件(映画内では「日承丸」)に至るまで、次から次へとさまざまな困難に直面し、それを乗り越えていく姿は、主人公、国岡鐡造のモデルとなった出光佐三の起業家/経営者としての胆力と懐の深さを見るものに想起させる――。

と、言いたいところだが、それぞれが重みに欠ける描き方をされたエピソードを次から次へと見せられて、申し訳ないけれどもはっきりいって消化不良気味。たとえば、鐡造と国岡商店をめぐる以下のようなエピソードがテンポよくひたすら繰り返された結果、残念ながらそこで描かれる困難さや、それを乗り越えていく強さが(言葉を選ばずにいえば)陳腐化してしまっているように感じた。実際にはどのエピソードも鐡造や国岡商店にとって重要なはずなのに、それが伝わってこなかったのは残念だった。

  • 創業期のつらい時期に木田章太郎が鐡造にお金を出してあげる話
  • ユキとの出会いと別れ
  • 後の幹部になる人材の入社
  • 石油配給統制会社との戦い/南方基地での石油取扱業者を勝ち取る
  • 石油を扱えない時期のラジオ修理事業
  • 満鉄への乗り込み営業
  • 戦争と長谷部の死
  • 石油タンクの底に残る石油をさらう業務
  • 日承丸事件

そしてなによりも、タイトルにもなっている「海賊」に関してだが、その由来となる門司時代のエピソードも、その後の鐡造の人生における扱いも、どちらもあまりに淡白すぎじゃなかろうか。人がなぜ鐡造を「海賊」と呼ぶようになったのか(実際映画の中で実際に鐡造が「海賊」と呼ばれるシーンは意外と少ない)、そして「海賊と呼ばれた」鐡造の、その後の人生における「海賊」っぷり、「海賊」としての生きざまなど、もう少しメリハリをつけて描けたのではないか(原作は未読なので、原作におけるトーンは分からないが)。

岡田准一の老けメイクはとても良くできていたと思う。

 

海賊とよばれた男

監督:山崎貴 出演:岡田准一 吉岡秀隆 染谷将太 鈴木亮平 野間口徹 ピエール瀧 綾瀬はるか 2016 日本 145分

 

海賊とよばれた男(上) (講談社文庫)

海賊とよばれた男(上) (講談社文庫)

 
海賊とよばれた男(下) (講談社文庫)

海賊とよばれた男(下) (講談社文庫)

 

 

『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス):「自分とは何か」という問いのリアリティ

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Moonlight. 2016. USA. Directed by Barry Jenkins. Courtesy of A24 Films

 

2017アカデミー賞作品賞助演男優賞、脚色賞を受賞した『ムーンライト』は、マイアミの黒人コミュニティに生まれ育った一人の少年、シャロンが「自分とは何か」という問いと向き合う物語だ。映画は3部構成で、それぞれのパートがシャロンの幼少期、少年期、そして青年期を描く。

少年シャロンをとりまくコミュニティは、シャロンみずからが自覚するはるか前から彼の家庭を知っていて(シャロンの母親は近所では有名な麻薬中毒者だ)、彼自身のセクシャリティを見抜いていた(シャロンはゲイだ)。同級生たちはシャロンに「ヤク中の息子のオカマ野郎」というレッテルを貼り、「リトル」という名で侮蔑し、いじめを繰り返した。みずからを自覚する前から自分のことを「知っている」周りのひとびとによって、勝手に評価を下され、あるカテゴリに当てはめられ、扱われることによって、シャロンは「本当の自分とは何か」という問いと不可避的に向き合うことになるのだが――。

セクシャルマイノリティに限らず「自分とは何か」という問いやその問いをめぐる思考、葛藤は、みずからの内面と徹底的に向き合うことというよりは、むしろ、みずからを取り囲む外部のコミュニティとのインタラクションから生じ、それらからの影響を思いっきり受けるのだ、という本質を丁寧に描いたことが、「自分とは何か」というこの映画のテーマに、単なる「自分探し」とは異なる圧倒的なリアリティを与えている。

少年時代のシャロン父親のように慕うドラッグディーラーのフアンは、そんなシャロンに対して「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」と説く。シャロンのことを「リトル」ではなく「ブラック」と呼び、シャロンにとって唯一心を許せる友人であるケヴィンは「お前はタフだ」とシャロンを励ます。こうやって文字にした途端に、ともすれば薄っぺらさ、安っぽさを帯びてしまうようなこうした言葉は、この映画におけるシャロンと彼の数少ない応援者との、脆く、不条理で、複雑な関係とコンテキストの丁寧な描写を伴うことにより、この映画を観るもの心に、これ以上ないほどに重く、痛く、シリアスに迫ってくる。

非連続的な3部構成という形式を採用して、それぞれの年代のシャロンに異なる個性的な俳優をキャスティングをしたこと、「貧困と隣り合わせである黒人コミュニティを舞台にした映画」から一般的にイメージされるような映画の表現マナーをいい意味で裏切ったこと――黒人映画の定番BGMであるヒップホップのビートは第3部で非常に効果的に用いられるまで鳴りを潜め、麻薬ディーラー同士の銃撃戦も出てこない――、そして、黒人というマイノリティではなく、黒人コミュニティの内部におけるマイノリティというテーマを扱ったことなど、緻密な脚本、独特なカメラワーク、美しい映像、効果的な音楽の使用など、全てが本作を名作たらしめる要素となっている。

冒頭に貼った画像のシーンは、幼年期のシャロンを描いた第一部で、フアンがシャロンに泳ぎを教えるシーン。幼いシャロンにフアンがバプテスマ(洗礼)を施すような意味合いをも感じさせる、この映画の中でももっとも美しいシーンの一つだ。

 

ムーンライト
監督:バリー・ジェンキンス 出演:マハーシャラ・アリ トレヴァンテ・ローズ ジャネール・モネイ ナオミ・ハリス アシュトン・サンダース 2016 アメリカ 111分

 

ムーンライト

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Moonlight [Blu-ray]

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さよなら、ホーカー。

The Economist に “How much longer can they satay?” という、シンガポールのホーカーについての記事。急激な経済成長と都市化が進む「何もかもが高い国」シンガポールにおいて、ノスタルジックな雰囲気のなかでチープイートにありつけるホーカーは、そこで生活する人々にとって、あるいはそこを訪れる旅行者にとって、さらには出張者にとってさえ愛すべき存在だ。

www.economist.com

記事中に興味深い数字がいくつか。

Roughly half of the 6,258 government-managed stalls pay rents as low as S$160 ($120.80) a month. The other half, however, must pay market rates, which can exceed S$4,100 a month. These stallholders must compete with each other on price. People will not pay S$8 for a bowl of fishball noodles that they can get for S$3 two stalls away.

シンガポール政府が管轄している屋台 (stalls) の数は6,258。上記引用部とは別のところで「シンガポールにおけるホーカーセンターの数は100強」という記述があるので、1つのホーカーあたりの屋台数は平均して60前後ということか。そして、あの狭い屋台の家賃がなんとS$4,100 (約380,000円)。単身赴任サラリーマンの自宅家賃が30万円を下らないような国なので、そんなもんだと言われればそんなものなのかもしれないけれど、さすがシンガポール

ただ、大昔に路上で営業していた屋台に関しては、政府主導で衛生管理が整ったホーカーセンターに移転させる際のインセンティブとして、低い家賃を設定したため、実際は「第一世代」と呼ばれる半数以上の店舗はS$160 (約15,000円) しか家賃を払っていないらしい。これら「第一世代」の屋台の世代交代にあわせてホーカーの家賃が高騰、提供される料理の値段も上がっていき、いまある形でホーカーが生き残ることは難しいだろう、というのがこの記事の論旨。 

既にいくつかの屋台では、セントラルキッチンで調理済みの料理を複数の屋台に配達するといったやり方を始めていたり、より高い単価が取れるようにローカル料理をやめてパスタのような料理に業態を変更したり、本格的な店舗オープン前のテストマーケティングとしてホーカーの屋台を利用したり、といった、従来のホーカーでは考えられなかったような取り組みが始まっているらしい。資本主義の中で治外法権のように存在していたホーカーも、取り囲む資本の論理からは逃れられず、その中に組み込まれていく、ということか。 冒頭の写真はマックスウェル・フードセンター (Maxwell Food Centre) の有名な粥屋。S$3 (約270円) で食べられなくなる日がはそう遠くないのかもしれない。